長いお別れ

whistling a merry tune I never heard before

なぜため息は膝に落ちていく?

コーヒーのチェイサーにコーラを飲む。苦い→甘い→苦い→甘いで、両方とも美味しくなる。そのコーラのつまみにクエチアピンを飲む。きっとあんまりよくないのかもしれない。

断続的に薬を飲み続けていないと、しにたいと思ってしまう気持ちで押し潰されてしまうし、なんなら泣き止むこともできない。薬を飲んだってそれは一時しのぎで、またすぐにしぬことしか考えられなくなる。こんなの絶対普通じゃない。けど普通ってなんだよ…(中二並感)

9月にも10月にも楽しみにしていることがあるので、入院だけは絶対にしたくないなあと思う。

心が、どうして正常な機能を失っているのだろう? 誰にだってつらいことやかなしいこと、やりきれないことなんてたくさんある。わたしだけが特別に何かを強いられているわけではない。いろんな気持ちや境遇を咀嚼した上で、みんなちゃんと生きて生活していけるのに、どうしてわたしにはそれができないんだろう?

孤独ぶるつもりなんて無い。思春期なんて20年も前だしね。寂しいと感じるわけでもない。まあ毎日twitterで誰かとは話しているしね。

本心から、自分はたいへん恵まれていて、ものすごく幸せなんだって思う。けれどそのことは、いや逆に、いやーうーん、なんでもない。

こんな風に雨が降って増水した川に飛び込んで、しんでいきたい。楽にしねるなんて思ってない。苦しくてもいいからそれでもしにたいと思うのだ。

覚えてないけどきっとそうさ

ソファに横たわってツイッターなどを眺めてる。外は雨。出掛ける予定も、遊ぶ予定も無い。台風が近づいてるという話だ。だからメンタルもハートも知能も思いやりも、何もかもが普段より損なわれていたとしても不思議はない。いつもより泣くし、いつにもまして頭は空回りするし、いつも以上に他への配慮が足りていない。けどそれは全部迫り来る暴風雨のせいなのだ。それなら、まあ、仕方ない。

しにたいと、100万回言ったらしなせてくれる神さまとかいないのだろうか。200万回でもいい。お布施があるならそれだって支払う準備はある。

眠って二度と起きたくない。そう思って寝ても、どうせ目覚めてしまう。こんな日常を、生きようと、たぶん必死だ。

あと1日、あと1日。その繰り返しはいつまで続けることができるだろう?もう本当に勘弁してほしい。無理だって言ってるんだからそれを認めてよ。けど誰が?どう転んでも結局はそれは自分の意思だ。全部のことがきっとそうだ。

 

沢山の時間がある。だけど一生はすぐに終わる

すぐに終わる一生の中にいて、明日にでもしにたい気持ちを抱いていて、それなのにその貴重な残り時間を無駄にするように、喧嘩する。

やっぱ生きてくのって無理じゃない?って思う。

二度と戻らない美しい日にいた

何もかもに、誰も彼もに、さよならを言っていなくなりたい。誰とどんな話をしようと、それは、わたしがいま生きていることやこれからも生きていくことが前提になっていて、そんな風に期待されても応えらんないよ。

なんだかどんどん人は増えていくのに、反比例して寂しさが募る。可視化されたあれやこれやで段々と窮屈になっていく。

もう本当に疲れた。電車で隅っこの座席に腰掛けてこの文章を書きながらメソメソ泣いている。相当に危ない人だ。けどまあマスクと前髪で顔のほとんどは覆われてるので、いっか。

しなないで済むのならそれに越したことはない。しかしそれじゃ済まないからみんなしんでいくのだ。これまでに何人かの友だちや先輩たちがじさつした。今のわたしはそれを羨ましいと思ってしまう。

当たり前に生きていける元気と勇気があったならなあ。そうしたら誰にも心配をかけずにいれたのかなあ。

でもそれはもう無理なんだよ、たぶん。

as it goes

酷暑を言い訳に家に引きもってあらゆる喧騒を避けて過ごしているはずなのだけれど、様々なコミュニティがベン図的に重なっているので、人間関係はむしろ騒がしくというかいささか面倒臭くなりつつある。広がっていくほど逆に窮屈になっていく在り方は、あまり好ましい状態とは言えない。しかしだからと言って何かや誰かを切り捨てることは難しい。八方美人なのだ。

誰かにいいなと思われたいっていう気持ちを無くすることはできない。誰にも嫌われたくないっていう思いを捨て去ることはできない。わたしは普段の言動をリトマス試験紙的に用いて、他人の気持ちを推し量ることが多く、そのことは言うまでもなく不自由だ。けれど自分が選んでいる生き方がそれなのだから仕方ない。

そういうこともあって、いやなくてもだけど、とにかく精神的にいつもいっぱいいっぱいなので、誰かを気遣ったり労ったりすることなんてわたしには多分許されていない。だから、友だちが苦境に立たされていても、どんな言葉をどのようにかければ正解なのか判然としなくて結局黙っていることしかできない。会って話を聞いてあげたいとか電話で愚痴を吐かせてあげたいとか思うのだけれど、気持ち的にその余裕が無く、ただただ本当に文字通り見ているだけだ。相手にしてみれば友だち甲斐が無いだろうなと思う。申し訳ないし情けない。あーあ。ほんとダメ。

いつでもこどうはみみもとでないていたんだ

うっかりするときっとしんでしまうので、がんばってうっかりしないようにしなければならない。

 

しゅじいからのしんらいはあつく、やくそくはやぶるまいとおもわれている。まあそういうふうにいうことじたいが、ひとつのけんせいなんだとおもうけど。

 

にゅういんせずにやっていきたい、たしょうむりでも。たのしみだってちゃんとあるし。

 

けどなんかもーむりってきもちしかない。まいにちきょうしのうかなってかんがえては、やくそくをおもいだしてしのいでる。

 

けどこんなふうにむりなひがずっとつづいていくんなら、ちょっとくるしいくらいがまんしてしんでしまいたい。

 

しかしほうほうをかんがえてもみょうあんはない。しゅうだんじさつとかにさんかすればいいのかな。