長いお別れ

whistling a merry tune I never heard before

今、夏の感じがしました

世間では三連休の最終日。今日も今日とて大変な猛暑だった。犬の散歩以外には一切家を出ずに過ごす。エアコンをガンガンに効かせながらホットコーヒーを飲んだ。久しぶりにチームでリーグマッチをした。夕飯に枝豆を茹でた。夫とバラエティ番組を見て笑った。夏休みっぽい1日といえば、ぽい。まあ、夏休みも何も、毎日がエブリデイの無職なのだけれど。

夏はそんなに別に好きでもなんでもない季節だ。暑いし、暑いし、その上暑い。でも、夏の感じは嫌いじゃない。草がボウボウと生い茂る河原とか、プール帰りの小学生の自転車の群とか、花火に向かう浴衣の女の子とか、and so on. なんとなくノスタルジー。別段夏の思い出があるわけでもないのだけれど。

さて。
心情の吐露。衝動の制御。そういった何やかやを無分別に垂れ流す。そうした行為にどれだけの意味があって、一体何の救いがあるのか。そんなことを考えて、なのにまた、こうして無闇な文章を書いている。ごめんなさい。本当に。

NEW GAME

いろいろと、かなり難しい。もう無理だなあと思う。
誰に強制されているわけでもない人生を、なぜつらく苦しいものだと思ってしまうのだろう?
みんなそれぞれに問題を抱え、それぞれに悩み、それでも当たり前のように上手に生きていけるのに。わたしだけに課せられた不幸なんて別に無いのに。

人生を振り返るたび、それは本当に幸福なものだったと毎度毎度思い知る。周りの人に恵まれ、様々なことに救われた。夕飯が美味しいとか、犬が可愛いとか、夕焼けが綺麗とか。友だちと遊んで楽しいとか、恋人(夫)と気持ちが通じ合って嬉しいとか。それらのことはわたしの人生を彩ってくれたし、わたし自身の肯定にも繋がっていたのだろうと思う。

しかしそれらのことが、わたしの生きていくつもりの無さに、何らかプラスの効果を持つものではない。
ただ、本当に、わたしはみんなのことを好きだったし、(多分)好かれて嬉しかった。

週明けには心を決めないとなあと思う。そして誰もにとって、よい選択ができるといい。

君に愛されて生きてこれたこと とても幸せに思うの だから泣かないで ねぇ

#とは

好きな友だちだけが集まって遊ぶのは、間違いなく楽しいからその場に安心して向かえるし、問題なく楽しめるからその日は安らかに眠れる。

とはいえ、本当は友だちと呼んでいいのかは分からない。だってほとんどみんなの年齢も本名も職業も知らない。でもそれでも、これだけ楽しい時間や空間を共有して、それぞれがそれぞれにお互いのことをなんとなくでも好意的な気持ちを持っていていれば、多分友だちと呼んで差し支えないのではないかと思う。というか、これが友だちじゃないのなら、一体何を友だちを呼ぶのか、わたしには分からない。

そういうわけで幸せな土日を過ごした。たくさん遊んだなあ。ありがとう。

on the train

病院からの帰り道、急行列車に乗っている。とても暇なので何か書こうと思ったけれど、充電があと45%と心許ない。とはいえ、別に途中で充電が切れても、わたしに連絡を取りたい他者が困るだけであって、わたし自身は何一つ困らないことに気付いたので、構わず文章を書き続けることとする。

 

退院して2、3日は確かによかった調子が、ここ2、3日は目に見えて落ちてきた。なぜなのかはわからない。けれどまあまだ家で踏ん張れる程度であり、あまり自分が不調だと思い込まない方がよい気もする。確かに少しのことで泣いてしまうし、苦しいし、しにたいんだけれど、少なくともスプラトゥーンは楽しいのだし、まだ大丈夫に違いないのだ。ボイスチャットでもゲラゲラ笑いながら試合ができる。誰かと遊ぶことを嬉しいと感じる。それでよくない?

 

明後日、明々後日としている約束がある。それらをわたしはちゃんと楽しみにできている。鼻血が出そうなほどである(出ない)。幸せなことだと、本当に心からそう思う。

 

「友達はいいもんだ」という合唱の曲があったけれど、まったくもってその通りで、友だちは良いものだ。得難くまたありがたい。

 

さてそろそろ電車は終点にたどり着く。あとは乗り換えをして地元まで帰り、薬局で自分の命をごまかしていく医学の結晶をたくさんもらって、ハーゲンダッツコッペパンを買って帰る。きっとそのあとでまたゲームに興じる。きっとゲラゲラ笑いながらチャージャーに抜かれる。きっとムキになってフレンドを倒しにかかる。

 

そういった一日一日の積み重ねが多分人生ということなのだと思う。来週、再来週、来月、来年、そんなことは考えないで、今日も楽しくみんなと遊べた、今日もアイスは美味しかった、今日も犬はかわいかった……そういう日々を繰り返していくしか、生きていく方法はおそらく無いのだ。

 

さて、では、またこの長いお別れにお付き合いくださる方は、よろしくお願いします。

山椒は小粒でも

家の中の空気が大変ピリピリしていてつらい。わたしが悪いんだけど。けど、というか、だからこそ本当につらい。
あーみんなみたいに普通に生きれたらなー。もういい加減疲れた。
でもただ単に、みんなより努力が足りなかっただけなんだと思う。

To be or not to be

本当にもう限界を感じる。一ミリも自分の価値を感じられないし、生きてく意味も皆無だ。
いつ死んでも大丈夫なように遺書の改訂を行った。第4版。今までよりシンプルに、しかしつらそうな文章になった。これまでの希死念慮なんてファッションだったんじゃないかというくらい今本当につらくて、どうしたらいいかわからない。家事もできないしゲームも楽しめないどころか泣いちゃうし、本当無理。

無理って言葉便利だな。「えっ無理」「まじ無理」「本当無理」
いろんなことについて使えそう。頭が悪くなりそうな単語トップ10に入るな。あとはヤバイとかうざいとかが入りそう。ってなんの話ししてんだろ。

君のことが大好きです ずっと隣にいたかった

死ぬにしても生きていくにしても、絶対自分の意思で決めたい。
確かに「当面は死なない」と約束したのではあるけれど、その約束はいつでも破るつもりでしたのだ。